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井上雪彦さんお別れの会に行ってきました。

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 今回はいきなり山口県以外の方はわからない話ですみません。しかもかなり長文です。

 アクセス数は限りなく少ないブログですので、その分思いのままに書かせていただこうと思います。

 東京のキー局ではまた感覚が違うんでしょうが、地方局には必ず「その地方のテレビ・ラジオの顔」というか誰からも愛されている存在のアナウンサーの方がおられると思います。たとえば大阪で言うところの角淳一さんとか。

 山口県のローカル放送局であるKRY山口放送の井上雪彦アナウンサーもそんな方の一人でした。県内唯一のローカル夕方ワイド番組「熱血テレビ」の司会者で若者から主婦層・高齢者まで幅広い人気を誇ったまさしく「山口の夕方の顔」でした。

 山口放送は県内唯一のラジオ・テレビ兼営局で、井上アナも元々はラジオで活躍されておりあまり人に名前も顔も知られていませんでしたが、99年に始まったこの夕方ワイドはあれよあれよと他局を抜き、県内トップの人気ローカル番組になり、井上アナも瞬く間に県民なら誰もが「ああ、雪彦さんね」と知ってる大人気アナウンサーになりました。ラジオで好評だった井上アナの個性を全面に押し出した、観ていてほんとにホッとするあたたかい雰囲気の夕刻にふさわしい番組でした。

 その井上雪彦アナウンサーが先月12日の土曜日、突然に、本当に突然に亡くなられてしまいました。いつものように金曜日の放送を「また来週お会いしましょう」と終え、その翌日の朝に突発性の病気によって。

 土・日、しかもお盆中ということとご遺族の意向もあり、週明けまでニュースとして報道されることは無く、殆どの視聴者は翌月曜日にいつもの「熱血テレビ」にチャンネルを合わせ、それが突如「追悼番組」になっていた事で初めてその事実を知ったのでした。

 夕方ワイドなんて普通の日勤の人はまず見れないけれども、平日休みを取った日などは私も結構チャンネルを合わせていましたし、ここ最近は仕事辞めてヒマだったこともあり、毎日の日課として楽しみに観ていました。

 その日はお盆中で、出かける用事があった私は帰宅してテレビをつけました。番組途中からだった事もありしばらく事態が把握できませんでした。画面には「ありがとう、井上雪彦さん」の文字。「何だ、何が起こったんだ?」。やがて私にも否応無しに事の次第が飲み込めてきます。「うそやろう・・先週あんなに元気にテレビに出ちょったのに・・」

 面識は無くとも放送という形を通してちょくちょく見かける存在、私達と同じ土地で暮らし、私達に地域の情報を伝えてくれるローカル局のアナウンサーというのはある意味、付き合いの無い遠い親戚なんかより遥かに日常的に近しい存在です。滅多に感じた事の無い喪失感、やるせなさ、悲しみ、人の命の儚さ・・あまりにも突然のニュースにただただ呆然とするばかり・・。

 追悼番組は故人が湿っぽい雰囲気が嫌いだったという事もあり、またあまりにも突然な事であり、視聴者にショックを与えないようにとの配慮から努めて明るい雰囲気で進行していましたが、私は一視聴者として混乱していましたし、番組自体も現場の混乱が伝わってくるようでした。

 翌日から私の周りでもこのニュースで持ちきりでした。幅広い人気の「雪彦さん」でしたから我々(放送の)受け手の落胆も相当なもので、休日診療の病院に行って待合室で待っていると同じく待合室にいたおじいちゃん、おばあちゃん世代なんかはこの話題ばかりで一様にショックと落胆は隠せない様でした。

 しかし直接の面識が無い私達に出来ることは局や番組宛てにお悔やみのメッセージを送る事くらいです。実際翌日より代役を立てて放送を継続していた「熱血テレビ」には続々と雪彦さんに関するメッセージが送られていたようで、番組でもそれを取り上げていました。

そんな中、この9日に山口放送の計らいで「井上雪彦さんお別れの会」が取り行われました。献花台も設けてお別れの場を用意してくれるという事でしみじみ思い出に浸りたい事もあり一人で行ってきました。山口放送本社はうちから2時間以上かかる事もあり、通りがかりに24時間テレビの募金だけ持っていった時を除いては実質的に行くのはこれが始めて。

 私と雪彦さんの出会い?は熱血テレビを遡ること約30年、AMラジオにハマっていた小学生の時に初めて聴いた山口放送ラジオの「スウィングサタデーねぎって行こう」という番組でした。トークがメインで滅多に音楽もかからない珍しい番組でしたが、特に「井上雪彦を知っちょってか?」というコーナーはお気に入りでした。毎週4桁のラッキーナンバーを決め、その番号を元にいきなりの生電話をかけて出た人に「井上雪彦を知っちょってですか?」(井上雪彦を知っておられますか?)と聞くのですが、その後は知ってる知らないにかかわらずその人と雑談を始めてしまうというもので、台本無しのやり取りは緊張感あって聴いてるほうもスリリングでした。もちろん露骨に嫌な反応する人もいますが(ある意味当たり前)、話が盛り上がった時などは聴いていてとても楽しかったです。

 さて、9日当日は山口放送の社員アナウンサー、雪彦さんゆかりのパーソナリティ各氏が勢ぞろいで私達を迎えてくださいました。山口放送ロビーはあふれんばかりの人。年配の方が多いながらも子供から老齢の方まで、雪彦さんの幅広いファン層を改めて感じました。でも私の様な40代前後のおっさん一人という方はほとんどいなかったです。サラリーマンは見ないもんなぁ、夕方ワイド。聴かない人はラジオも聴かないし。アナウンサー全員で故人ゆかりの詩の朗読、皆さんこの会の模様を記録しておきたいらしく遠慮がちにカメラのシャッターを切りながらもじっと聞き入りしめやかな雰囲気。

 その後、一人一人に生花が渡され献花。しっかりお礼とお別れを申し上げました。子供の頃、Uターンしてきた頃、新しい仕事に就いて営業車の中での一人の時間、そして新しい生活を模索している現在まで・・・私の娯楽を彩ってくれた方の一人。楽しい放送をありがとうございました。

 当日は「スウィングサタデー」を放送していたラジオ第1スタジオと「熱血テレビ」の常設セットのあるテレビスタジオが公開され、それぞれの番組の名場面がその場で流されました。ラジオは毎年年末に公開放送をやっていたのですがついぞ行く機会はありませんでしたので「ここから放送してたのか」と思いつつも現場を見たことが無いのであまりピンときませんでした。「スウィングサタデー」の名コンビ、鈴木久美さんとお話をしてみたかったのですが、私はお顔を存じ上げておらず、当日放送時の写真を拝見したのでそのお顔をもとにずっときょろきょろしていたのですがお会いできませんでした(後で聞いたら私がラジオスタジオを後にした頃にお入りになられてずっとおられたらしい・・少し後悔)

 テレビスタジオは感慨深いものがありました。こちらはラジオと違って画面を通して見ていますので、「この間までこの仕事場に立っておられたんだな」としみじみ感じ入ってしまいました。番組ゆかりの小道具類も「お手を触れないで下さい」なんてヤボな事は無く、みなあのサイコロなどを手にとってそれぞれ感じ入っていました。

 テレビスタジオでは若手アナウンサー、パーソナリティ勢揃いで集まったファンの方々と故人を偲びつつ談笑していました。話しかけたり、写真を撮ったり。印象的だったのは皆雪彦さんの思い出を話しながらもさかんに激励の言葉をどのアナウンサーの方にもかけていました。今回の件に驚いて、残念で、悔しくて、やるせなくて、その気持ちは私たち視聴者もアナウンサーとして部下だったあなたたちも同じ。だから雪彦さんを忘れることなく前を向いてがんばんなさいね。そんな言葉を多くの方がそれぞれのアナウンサーの方々にかけておられたのがあちこちで聞こえ、故人を偲ぶ会でありつつも激励会みたいな良い雰囲気でした。特に雪彦さんの後を継いで2代目熱血テレビ司会者となった高橋裕アナと最後まで雪彦さんと仕事をこなした同じく熱血テレビ司会者の脇田美代アナの周りは常に激励の人垣が出来ていました。

 

 高橋裕アナが「今日も雪彦さんそのへんで見てる様な気がするんですよ。絶対来てますよ。で、後でどうだ、すごく集まっただろ?って自慢するんですよ。そんな気がするんです」とお客さんと話されていました。もし雪彦さんが見に来ていたら、一番アドバイスが欲しいのは後を継ぐ高橋アナなんだろうなー。脇田アナは10ヶ月とは言え雪彦さんの仕事を見ていただろうけど、確か高橋アナはテレビのメインを張るのは初めてなはずだから。

雪彦さんの言葉で山口に来ることを決意したという東村山出身の高橋アナ。きっと新生「熱血テレビ」のお二人の頑張りを雪彦さんは見守っておられると思います。私もテレビの前で応援していきたいと思います。

 アナウンサー、パーソナリティの皆さん、本当に笑顔を絶やさずに来場者一人一人に接しておられました。地域密着型のローカル局ならではだと思います。

 私も最初は躊躇していましたが、雪彦さんの話はもとよりどうしてもアナウンサーの方々に頑張ってと一言声を掛けたくなり、どの方もお会いしたのも初めてですが思い切って声を掛けてお話をさせていただきました。が、かなりあがっておりましたので失礼な物言いや行動があったやも知れません。この場を借りてお詫び申し上げます。特に脇田アナには熱血テレビを観てファンになったこともあり、お話、写真の他にたまたまペンを持っていたのでサインまでずうずうしくお願いしてしまいましたが、快く応じて下さいました。ありがとうございました。雪彦さんとの親子のような掛け合いとボケ・ツッコミは本当に和んで大好きだったです。

 また、福谷貞夫アナには自ら雪彦さんが立っていた司会席に案内していただき、その場に立たせてもらっていろいろ解説していただきました。雪彦さんがいた空間にアナウンサーさんたちや他の視聴者さんたちと一緒にいる空間は実に心地よくしばしその場の空気をしみじみと味わいました。

 会の終わりにご挨拶があるそうなのでロビーに戻ったら、テレビスタジオとは違う静かな雰囲気の中で池内博子アナウンサーが一人いすに座られ、献花に来られた方に花を手渡しておられたのがとても印象的でした。

 4時になり会も終わりに近づきました。アナウンサーさん達全員でのご挨拶。来場者が書かれたメッセージノートの中からいくつかの紹介とそれぞれのお方の雪彦さんとの思い出を一言ずつ。女性陣は皆涙、福谷アナも高橋裕アナも声を詰まらせ最後の全員での見送りの拍手で閉会となりました。さすがにこみ上げてくるものがあり、泣くつもりはなかったのですが思わず涙が出てきたのでこっぱずかしくて早々に会場を後にしました。

 暖かく、楽しくかつしめやかないい思い出となった送る会でした。もう山口放送に行く機会は無いと思いますが明日からもテレビやラジオをKRYに合わせるいつもの日々に戻ると思います。もう雪彦さんはいないけれど、皆様での楽しい放送をこれからも期待しています。

 相当長文になってしまいましたが、ブログは記事が流れてしまうのでいつかまたHPの方で記事にまとめたいと思います。

 また、KRY関係者の方がこんな枯れたブログ見るはずもないとは思いますが、写真は問題有る様なら外しますのでご一報下さい。

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Author:缶コーラ
山口県在住。ローカルなネタを含めて
何でもアリで書いていきたいと思います。

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