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2019年1月5日「なりカル!」の公開生放送へ行って来た。(KRY山口放送ラジオ土曜夜10時~)

2019年も明けてすぐ、1月5日土曜日の夜10時。

KRY山口放送ラジオで絶賛放送中の「なりカル!」の公開生放送が行われました。

山口県でゲーム・アニメ・マンガなどのサブカルチャーを扱って人気の番組です。

普段は30分番組なのですが、この日は1時間に拡大のスペシャル版です。

場所はKRY山口放送本社ラジオ第1スタジオ。こんな深夜にスタジオを訪れるのは24時間テレビを除けば私も初めてです。


その前に土曜日の第1スタジオと言えば…そう、「ラジKING GOLD」です。

まずは午後4時、「ラジKING GOLD」の生放送にお邪魔しました。



学長こと中村衣里アナウンサーとお話出来ました。夜には「なりカル!」の公開生放送ということでその話題も。

ここで一旦山口放送本社を離脱。夕食のため街中へ。


夜9時。再び第1スタジオへ。

そろそろと言う感じで準備が始まってました。

本日のテーマは「平成で出会ったサブカルチャー」と「第2回なりカル!企画会議」の2本立て。

部長こと成田弘毅アナウンサーはキューシートとにらめっこで準備に余念がありません。



顧問ことディレクターのはなちゃん(「なりカル!」に関しては顔出しOKとのこと)は今日はディレクターと成田アナのアシストトークの二役。手にしているのは番組の企画(しりとリクエスト)で貰えるステッカーですが「本日限定のデザイン」のもの。


まだ放送まで45分以上あるのにこの人数。

部員ことリスナーは本当に熱心な人が多いです。

ちなみに私は勝手に「非公式な広報」として活動してまして、本番中の撮影は許可を取ってやっております。


本番スタート。第1声のカフを上げる直前の部長。普段と違う緊張がかっこいい。



本番中。メッセージを送りつつスタジオにも来られてる部員が多く、掛け合いをしながら番組は進んでいきます。


本番も約半分が過ぎたところ。部長も普段よりテンション高くトークはよどみなく進んでいきます。
ちなみに本日はマイクの有る席が一つ用意されてまして(はなちゃん曰く「選ばれし勇者の席」)この日ここに座って番組に出演したのは部員の「かみおあすか」(顧問曰くネタの宝庫)さんでした。


無事番組終了。お疲れ様でした。


最後に皆さんで記念撮影。

正直、山口県ですよ?徳山ですよ?田舎ですよ?。新年早々の夜10時からの公開生放送にこれだけ(53人)の人が!

本番中のメールやツイートもたくさん。エリア外のradikoリスナーからも多くのメッセージが寄せられました。

ラジオならではの番組の勢いを感じた公開生放送でした。

PCエンジン用・「液晶操作機器搭載裏蓋壱號キット(メルクリウス)」を作ってみた。


昨年末、秋葉原の「家電のケンちゃん」にて、懐かしのPCエンジンを携帯機化する同人キット「液晶操作機器搭載裏蓋壱號キット(メルクリウス)」(以下メルクリウスと記載)が売り出され瞬時に完売したのですが、運良く第2回販売時に入手出来たので作ってみました。

メルクリウスはサークル「team mercurius」さんが開発したキットです。

このキットの他に必要なものは、

1.PCエンジン本体(初代・コアグラフィックス・コアグラフィックスⅡ)のどれにでも対応。シャトル・スーパーグラフィックスは対象外。

2.LCDDRV REV.3.2(サークル「NX Labs」さん開発の汎用LCDドライバボード)

3.LCDDRV Rev3.2対応4インチ液晶パネル(家電のケンちゃんさんで取り扱い中)

4.純正コントローラ(連射機能のあるもの)

です。

同人キットとしては珍しく100ページ超のマニュアルがPDFで用意されており、ハンダ付けさえ出来れば初心者でも頑張れば完成できるのではないかと思います。(逆にこれ作れたら多少のキットは作れる腕前になっていると思います)


まず、どのPCエンジンで作るかということで、私は初代を選びました。なぜなら、一番「PC Engine」のロゴが大きいので「これはPCエンジンですよ」との主張も十分と感じたからです。一台状態の良いのを持ってはいますが、本体を改造するのでジャンクで中古品を入手することにしました。PCエンジンの本体に至ってはよっぽど酷くない限り不動のジャンクというのは見かけませんのでまあ、大丈夫かと。


ということで1台入手しました。初代の例に漏れずかなり黄ばんで外観は汚いです。まずは動作確認ですが、初代はコンポジットビデオ出力が無くRF出力のみですのでアナログテレビとRFスイッチが必要ですが、別売りのAVブースターかCD-ROM2のインターフェースユニットを使えばテレビとコンポジットビデオ接続が可能です。(というか背面の拡張端子にはコンポジットビデオ信号が出ているんですけどね)


CD-ROM2インターフェースユニット。


無事「ゼロヨンチャンプ」が動作しました。動作確認OKです。

しかし、PCエンジン初代はもう発売されてから30年以上経っています。せっかく改造するので長持ちさせたいということで、恐らく経年劣化しているであろう内部の電解コンデンサーを全て交換することにしました。


PCエンジン本体の分解には特殊ドライバーが必要です。エンジニアというメーカーのDTC-27というドライバーを使います。これはスーパーファミコン等にも使えますのでレトロゲームを扱う上では持っていて損の無い工具だと思います。


取り出した基板。


この部分に13個。


こちらに2個。


ここに1個(これはサイズの小さいものなので買うときに注意が必要)。計16個の電解コンデンサーがあります。

今回は秋月電子にて以下のコンデンサーを用意しました。


1.1㎌50V85℃(ルビコンPK)8個

2.10㎌50V85℃(ルビコンPK)3個

3.22㎌50V85℃(ルビコンPK)1個

4.47㎌35V85℃(ルビコンPK)3個

そして上記の小さいコンデンサーとして

5.10㎌35V85℃(ニチコンMW)1個

以上計16個です。


全ての電解コンデンサーを外して…


プラスマイナスの極性を間違えないように付け替えて作業完了です。


同時にケースを酸素系漂白剤に浸けてホワイトニング。


多少黄ばみは残りましたが見違えるほど白くなりました。


再度動作確認。無事交換できたようです。

コントローラーは以前ジャンクで入手したPCエンジンDUO用のものを使います。準備します。



コントローラーは前の持ち主の手垢や埃が付いてることが多いので、私の場合は分解したら基板を除くパーツは塩素系の漂白剤を薄めたものにしばらく浸けて水洗いしてよく乾燥させます。ゴム部品は破れたりしていたら使えませんので良くチェックします。コントローラー基板にも1個電解コンデンサーが付いていますので気になる方はこちらも交換すると良いです。また化粧板をきれいに剥がしておきます(結構簡単に剥げます)。


このあとは、私があれこれ書くよりも詳細なマニュアルに従って作業を進めた方が良いので、詳細な手順は書きません。



まずはメルクリウス基板に必要な部品を実装していき完成させます。


メルクリウス基板から本体・コントローラー基板・LCDDRV基板へ配線をしていきます。


途中で表示確認。バッチリ動作しているようです。


キットの裏蓋側へコントローラ基板、液晶、LCDDRV基板を実装していきます。


配線を纏めてフタを閉めたら完成!なのですが…。


マニュアルに書いて有るとおり、純正コントローラーの配線の線材があまり品質が良くなく、ハンダ付けしている間に被服が溶けていくため、それが原因でコントローラーの配線がショート気味だったので、マニュアルにあるとおりリボンケーブルでコネクタを使わず直接配線してトラブルは無くなりました。


コントローラーの化粧板を貼って完成!です。カトちゃんケンちゃんで動作確認。バッチリです。

マイクロUSB端子から5Vの給電で動作するので出先でもモバイルバッテリーでPCエンジンが遊べます。



スペハリもバッチリです。

画像はとても綺麗で音も良く、ヘッドホンも使えるので寝っ転がってPCエンジンが遊べます。

実機から手に入れても3万円ほどで完成しますので、お休みの工作にいかがでしょうか?

ただまだ今現在は入手難のようですので、欲しい方は「家電のケンちゃん」のサイトで入荷通知の登録をして待ちましょう。

2018周南冬のツリーまつり・ファンタジックナイト集中イベントに行って来た。

去年の年末の話ですが、3ヶ月も経ってから更新という遅さに呆れてる方もおられると思います。実は年々余暇が減ってきており、イベントには行ってもブログの更新まで手が回らないのが頭痛いところです。

周南市の徳山駅周辺では毎年クリスマスイルミネーションが行われます。特にクリスマス近くになると駅前の御幸通りをホコ天にして「ファンタジックナイト」という集中イベントが行われます。2018年は12月23日に行われ、司会は我らが部長ことKRY山口放送の成田弘毅アナウンサーとFM山口の小林愛子アナウンサーということでしたので行って来ました。

…と言っても当日は仕事でしたので到着したのはもう終わり間際でしたので、青空公園のイルミネーションは撮れませんでした。






御幸通りのイルミネーションはちょっとスポット的で今ひとつスケールの大きさを感じるような一体感が弱いなという印象でした。
ステージイベントも終わりかけでしたので、もう今回は司会のお二人を堪能して頂きたく、ほぼ写真でいきたいと思います(こらそこ手抜きと言わない。)


11月のやまぐちスペインフィエスタに続いてのコンビ。徐々に息も合ってきております。


ステージのフィナーレには結構な数の花火も上がりました。





まあ要は着いたらすぐフィナーレの花火が上がってステージイベント終了っていう体たらくだったってだけなんですけどね(笑)

お二人のクリスマス衣装をお楽しみ下さい。



ツリーイルミネーションをバックに一枚お願いしました。


小林愛子アナウンサーとの2ショットもお願いして撮らせていただきました。
2019年はもう少し早い時間から行けるように頑張りたいと思います。

「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」(1966年7月10日放送)は本当にカラー放送だったのか?

このブログ的にはいつもと毛色の違う記事ですがよろしければ。
(この記事は随時加筆・修正していきます。)


1988年に発売された「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」のVHSビデオソフトのジャケット。


日本人なら多分誰もが知っている「ウルトラマン」。全話カラーで製作された日本の特撮テレビ番組の草分けとしても有名です。この「ウルトラマン」、実は第1話放送の一週間前に単発の特番として「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」という番組が放送されています。本編の「ウルトラマン」がカラー放送だった為にこの「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」は本放送当時「カラー放送だった」「いや、モノクロ放送だった」と二説あり、現在でもこの二つの意見が流布しており真相は不明ということになっています。今回はこの番組がカラー放送だったのか、それともモノクロ放送だったのか、放送機材の観点から考えてみたいと思います。


TBSの1966年の年表にも前夜祭がカラーもしくはモノクロ放送だったかの記述はありません。


1.「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」という番組について




大人気番組だった「ウルトラQ」(モノクロ製作)。その後番組として「ウルトラマン」は円谷プロ初のカラー特撮番組として企画されました。そして「ウルトラマン」の第1話の放送開始は1966年7月10日と決まりました。本来予定されていたのは7月17日からでしたが、「ウルトラQ」の放送を一本見送り、1週間前倒しとすることが急遽決まったのです。しかし製作上の遅れから第1話の完成品納品が7月10日に間に合わない可能性が出てきたため、急遽舞台公開イベントを開きその模様を「前夜祭」として録画中継により放送することで1週間の時間稼ぎをしようと企画されたものです。収録は1966年7月9日土曜日午後1時から東京の杉並公会堂で行われ、翌7月10日の日曜日午後7時から放送されました。余談ですが「ウルトラマン」第1話のTBSへの納品完了は7月13日であったため、この時間稼ぎは結果的に正解だったと言えるでしょう。

この「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」の映像は1988年に単品のVHSビデオソフトとして初めて発売され(この時は原版ほぼノーカットの完全収録)、その後「ウルトラマン」がLDやDVD・BDになる度にそのつど映像特典として収録されているので現在では比較的容易に観る事が出来ます(特典として収録されたものは一部武田薬品のCMなどがカットされているものもあります)。収録されている映像は現在唯一現存しているとされるモノクロのキネレコ(キネコ)フィルムからの収録ですのでモノクロ映像です。

ちなみに当時ウルトラマンがどれだけ人気番組だったかというと、


TBSのアニメ・子供向け番組の歴代視聴率ベスト20の表(2002年時点のもの)ですが、ご覧のとおりダントツの1位です。前番組の「ウルトラQ」が次点ですから、まさに期待の新番組だったと言えます。


2.「『ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)』がカラーだ、モノクロだと意見が分かれる理由」

前番組「ウルトラQ」はモノクロ作品でしたが、それが終了して満を持して始まる「ウルトラマン」にはTBSも相当力を入れており、将来を見越して本編は全話カラーフィルムでの製作が決定していました。しかしこの「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」は舞台の録画中継であるためカラーフィルム撮影ではなくVTR収録でした。VTRは1966年当時はまだ大変高価な機材でしたが、前々年に東京オリンピックが開催されたこともありカラーのVTR機材も放送局は数少ないながらも所有はしていました。

「TBSが一押しのカラーが売り物の新番組だから当然前夜祭もカラーVTRによるカラー放送だろう」

そう思う人が多くても不思議は無いはずです。

実際、前述のビデオソフトが出た際に当時私が勤めていた職場の特撮好き先輩が「これカラーだろ。なんでカラーで出さないんだよ!」ってお怒りで、その時始めて私はこの番組が「カラー放送だった説」があるのを知りました。(私がこの「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」の存在を知ったのはキングレコードから1978年に発売された「サウンド・ウルトラマン!」というLPレコードに収録された音声だったので映像を観たのはこのビデオソフトが初めてだった)。

その後に出版された書籍の幾つかにも「この番組は本放送時カラーだった」と断言しているものもあります。(申し訳ありませんが書名は失念)。

その為、今までに何人もの方が真相を調査されているのですが、

「当時の関係者にインタビューする」(当時の記憶による証言)もしくは

「新聞のラテ欄を信用する(カラー番組には【カラー】の表記がある)」

「放送時に番組のタイトルに挿入される【カラー】のスーパーを確認する」くらいしか方法が無いのです。

補足しておきますが、現在ソフト化されて観ることの出来る「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」の映像には当時のカラー番組の通例であった、「番組冒頭に【カラー】のスーパーが入る」ということがありません。しかしソフトの元になったキネレコフィルムにはそれ以外のスーパーは全て入っているように思われるので、「【カラー】スーパーだけが抜かれている」とは考えにくいと思います。

私の友人曰く「TBSや円谷プロに当時の資料が残っていたとしてもそれを見る術が無ければ存在しないも同じ」。個人はもとより、いくら書籍を執筆するプロのライターさんでも全ての見たい資料を無尽蔵に見せて貰える訳では無いのです。

「当時リアルタイムで放送を観た人に証言してもらう」と言っても、なんせ当時のカラーテレビの普及率はたったの0.3%。白黒テレビですら一般家庭にはまだまだ高価な代物でやっとほぼ全世帯に普及したかな?といった時代ですから、よほどのお金持ちでないとカラーテレビなんてとても買えなかったんですね。日本のテレビはNTSC方式と言ってカラーとモノクロには相互互換性が有るため、白黒テレビでも問題無くカラー放送が見れます。これがまた曲者で「当時カラーテレビで観ていた人」でなければ「あれはモノクロ放送だった」と証言できないと言う事になります。

また、これを言ってしまえば身も蓋もないのですが、当時の関係者の証言も100%正しい保証はありません。記憶違いだってあります。

ともかく一番の問題は「なんせ50年以上前の古い話ですから」って事でしょうか…。

そんな中、今までの状況としては「当時の複数の関係者が『あれはモノクロ放送だった』」と証言していること、ある古参の有名なファンの方が「当時からカラーテレビで観ていたが、間違い無くモノクロ放送だった」と証言されており、また新聞のラテ欄にもキネレコのタイトル画面にも【カラー】表記が無い為、多くの方は(私も含め)モノクロ説支持だったんじゃないかなと思います。

でもカラー説はずっと消えずに根強く今日まで残っています。なぜなら「確固たる証拠が無い」し、「やっぱりカラーで残っていて欲しいし、出来ることならカラーで観たいじゃん」という願望なのか…これもまた気持ちとしては大変良く理解できます。


前出のVHSビデオの解説書には「モノクロ作品」との記述が。これが「モノクロ放送」の事を指しているのか、収録したキネレコフィルムの事を指しているのかはわかりません。


3.「当時のVTRとキネレコ(キネコ)について」

前述の通り、この「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」は現在でも映像が残っています。ですが放送に使われた2インチマスターVTRではなく、モノクロのキネレコフィルム(通称キネコと呼ばれるがTBS社内ではキネレコと呼ばれていたのでここではキネレコと表記します)が唯一残っているだけです(2インチマスターVTRが現存しているかどうかは現在まで確認されていない)。

キネレコ(キネコ)というのは簡単に言うと撮影から放送まで電気的な仕組みで行われるテレビ放送を、光学的記録であるフィルムに変換し焼付け→現像して保存するもので、VTRが実用化するまではテレビ放送を映像として残す唯一の手段でした。

ちょっと乱暴な言い方ですが、テレビ画面をフィルムカメラで撮影して残すって思ってもらえればいいかと。


キネレコ装置の参考写真(これは日本テレビのものです)。

VTRが出現して録画が可能になったのですが、当時のVTRは2インチVTRと呼ばれる物で、そのテープはとても大きく場所を取り、そしてとても高価でした。その為VTRで収録された番組は放送が終わると消去されてテープは使い回され多くの番組は残されることは無かったのです。「これは」という番組だけがVTRを消去する前にキネレコフィルムに変換してフィルムとして残され、VTRは消されたという訳です(モノクロフィルムで残す方が遙かに安上がりだった)。それ以外の番組は保存すらされなかったのです。まだ「番組を保存して後に活用する」という概念が無かった時代ですね。「放送したら消えるもの」それがテレビ番組だったのです。

そして、「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」は「キネレコフィルムはともかく元の2インチマスターVTRはカラーだったんじゃないか?」と言われている訳です。


VTRテープいろいろ。一番大きいオープンリールのテープが1966年当時使われていた2インチVTR。余談ですが、TBSにマスターVTRの形で残されている最も古い番組はもはや説明の必要も無いほどの名作ドラマ「私は貝になりたい」(1958年)です。このドラマは前半がVTR録画、後半が生放送という放送形態でしたが、これですら当のTBSは保存する予定は無く、たまたま大阪でこの番組をネットしていたOTV大阪テレビ放送(現在のABC朝日放送)がVTRの調整テストの為にこの番組を録画していたため、奇跡的に今日まで全編VTRで残った、というエピソードがあります。テレビドラマの革命とまで言われるレベルで全国的に話題になった番組でやっとマスターVTRが残される訳ですから、いくら人気があったとは言え子供向け番組である「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」を高価なカラーVTRで残すかというと甚だ疑問ではあります。



1966年を遡ること2年前の1964年時点のTBSのVTR事情。東京オリンピックの為に用意されたカラーVTRは1958年に在京テレビ局で初めて導入されたVTR装置(2インチモノクロVTR)であるアンペックスVR-1000の1号機と2号機にカラーアダプターを装着した2台のみ。ちなみにアンペックスVR-1000は


ご覧のとおりの巨大な装置。これが当時のVTR室に2台ありました。
また、この記事に出てくる新しく導入した3台の芝電気製のSV-7624型VTR(これはモノクロ2インチVTR)というのは


この機械。ずいぶん小さくはなったがそれでも大きい。これら計5台が1964年当時TBSにあった2インチVTR機。

また、この記事には高性能なキネレコ装置と高速な現像機を導入したとも記述があり、VTR共々キネレコ装置が番組を録画保存する上で当時極めて重要な装置であったことを物語っています。


1964年から1967年にかけてのTBSのVTR事情。

1965年12月に上記のSV-7624型2インチモノクロVTRを搭載した初代VTR車が稼働し、出先でVTR録画が可能になります。

次にカラーVTRが増設されたのは1966年12月。高性能なハイバンド型2インチカラーVTR、アンペックスVR-2000が導入され、更に翌年同型機が1台追加され、67年6月にTBS全体でのVTR保有台数は12台(うち2インチカラーVTRは4台)となっています。


ハイバンド型カラー2インチVTR、アンペックスVR-2000(写真は日本テレビのもの)。

つまり1966年7月時点ではTBSにカラーVTRは2台。出先で録画出来るVTR車はモノクロVTR搭載の1台のみということになります。

ところで『「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」がカラー放送だったのならモノクロじゃなくてカラーフィルムを使ってカラーのキネレコで残すはずじゃないか?』という意見もありますが、TBSがカラーキネレコ装置の実用化に成功したのは1968年5月でした。



このことから1966年時点ではたとえカラー放送だったとしてもモノクロのキネレコでしか残すことは出来なかったということになります。


4.「調べてみようと思ったきっかけ」と「中継用カメラの機種特定


先日発売された書籍「エンターテインメントアーカイブ ウルトラQ ウルトラマン」にこの「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」のページがあり、そこに収録当日にTBSが撮影したスチール写真が掲載されていました。その中に「舞台最前列で撮影している中継用カメラ」が写っている写真が1カットだけありました。私は全く勉強不足で、今まで「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」の写真は何度も見たことはあったのですが、この中継用カメラが写っている写真は今回初めて見たのです。


(後日、前出のVHSビデオソフトを観直していたときに、ビデオの解説書にも掲載されていたことに気づいたのですが、写真があまり鮮明ではないこともあり、ビデオ発売当時は大して気にも留めず、VHSビデオソフトも何年も見直して無かったので過去見ていたことに気づかなかった)。


これはその写真。舞台最前列で中継に使われているカメラがどう見ても当時主力のイメージオルシコン管を使ったモノクロカメラであり、当時のカラーカメラヘッドに見えなかった事、また当時のカラーカメラは非常に低感度であったため強い照明が必要であり、カラーでの撮影にしては照明が暗すぎないか?と思った事から、「このカメラの機種を特定できれば当時の放送機材面からのアプローチでこの番組がカラーだったのかモノクロだったのか証明できるのではないか」と考えました。

古い話ですし、家庭用機材と違って一般向けのカタログなんかもありませんから、この機種の特定は相当困難であり、当時の業界誌やテレビ技術誌をくまなく調べるしかないだろうと思った私は、とりあえず地元の公立図書館に行ってみましたが埒が明きません。「ああ、ちょいと国会図書館とかに調べに行ける人が羨ましいぜ」と嘆くも致し方なく。しかしながら多少放送機材の知識があったこともあり、非常に有名な機種でしたので、その後すぐに型番を思い出せました。東芝の「IK-11」と言う「俗に”民放型”と言われたほど民放局に売れたベストセラーのイメージオルシコンの真空管モノクロカメラ」だと特定しました。しかし実際にTBSに納品された仕様の現物写真が無いと誰も納得しないと考え、資料を探しました。


この写真の一番左のカメラがTBS仕様の「東芝IK-11」です。 ズームレンズではない回転式レンズ切り替え、四角いフォルム、サイドの特徴有るバー、6チャンネルのエンブレムや東芝やTBSマークの位置などから「中継に使われたカメラはこの機種であり、モノクロのカメラである」と特定しても差し支えないと思います。

ステージ最前列という重要な位置のカメラがモノクロカメラであるということはこの「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」録画中継はモノクロで録画されたと考えるのが妥当だと考えます。


モノクロカメラ「東芝IK-11」の解説。

ちなみに参考として当時のカラーカメラなのですが、


これが1964年10月時点の最新鋭のカラーカメラです(写真は日本テレビの「東芝IK-35」)。とにかくバカでかいカメラで簡単に移動もできません。この後TBSでは1966年9月に大きさも重さも従来の3分の1という画期的なプランビコン・カラーカメラを当時のGスタジオに導入します。つまり、カラーカメラが画期的に小さくなったのはこの時であり、1966年7月の時点ではTBSのカラー中継車にはこの写真の「東芝IK-35」よりまだ古い「東芝IK-31」(この写真より更に大きく重い)カメラが搭載されていたということになります。


小さく軽くなったプランビコン・カラーカメラ。このカメラの登場がもう少し早ければ「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」もカラー放送になっていたかも知れません。


5.「中継車・VTR車」について

放送局の外から舞台を中継しVTR録画する場合、2つの方法があります。

1つは現場からマイクロ回線による中継で局のVTR室に送り局に設置されたVTR装置で録画する方法(中継録画)。

もう一つは1962年頃からVTRを搭載したVTR車を保有する局が増え、VTR車で中継現場で録画する方法(録画中継)。

1966年のTBSの状況はというと


1961年に初めてカラー対応の初代5号中継車が稼働していますが、これは録画機能を持っていないため、これでカラー中継しようとすると前述のマイクロ回線経由で局で録画(いわゆる「中継録画」)という方法になりますが、一応「舞台中継をカラーで録画する」事は可能ということになります。


初代カラー中継車(初代5号中継車)。

しかし、この初代5号中継車に搭載されていた3台のカラーカメラは東芝のイメージオルシコン3管式の3IOカラーカメラ(東芝IK-31)で、その重さは1台あたりペデスタル(移動脚)を含めて200kgオーバー。その為にカメラ移動には3人がかり、番組製作には前日からの調整が必要、当日も収録の何時間も前から電源をいれておかなければならず、それでも画像が安定しないというものでした。その後、高性能で安定したプランビコン式カラーカメラを搭載したTBS2台目のカラー中継車である初代6号中継車が稼働するのは1967年4月です。

その一方で1965年に初代VTR車が稼働しており、これには前述の芝電製モノクロ2インチVTR、SV-7624型が1台搭載されており、現場でモノクロVTR録画が行えます(この初代VTR車がカラー化されたのは1969年)。

また、「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」は前日昼過ぎから録画し、かなりのVTR編集をされて(収録時の舞台はハプニング続きの大混乱で使える画がほとんど無かったそうです。このあたりのことは過去のいろいろな書籍で触れられています)放送は翌日夜という、ほとんど「撮って出し」のような短時間で放送用素材が作られている事を合わせて考えると、機材や操作が複雑で調整も大変なカラーVTRで編集したとは考えにくいです。

これらのことから1966年7月時点で稼働していた、「東芝IK-11」モノクロカメラを搭載していた「初代3号中継車」もしくは「2代目1号中継車」もしくは「2代目2号中継車」のどれかと、モノクロVTRを搭載した「初代VTR車」との組み合わせでモノクロで「録画中継」(「中継録画」では無いところがミソ)を行ったと考えるのが妥当だと思います。


6.現存しているキネレコフィルムから判ること

TBSがこの番組のキネレコを作成した目的はまず録画保存というよりは、(マイクロ回線による同時ネット局以外の)フィルムネットで放送している地方局へフィルムを送らなければならないという理由があります。その結果このフィルムが今日まで保存されることになったというのが真相だと思います。

当時のテレビ番組は番組中にいろいろな素材に切り替えながら放送をしており、局のマスター(主調整室)から番組進行表(キューシート)にしたがって素材切り替えの合図を出し、スイッチャー(映像)及びミキサー(音声)が切り替えるという操作をしていました。フィルムカメラなどはまだ自動化されておらずカメラを操作したりフィルムを掛け替えたりする担当者が張りついていました。

ほぼ完全版が収録されているVHSビデオソフトのキネレコフィルムを見てみますと

1.武田薬品オープニング(モノクロフィルムカメラへの手動切り替えによる手動送出)

2.ウルトラマン用ウルトラQオープニング~ウルトラマンオープニング(別のフィルムカメラへの手動切り替えによる手動送出・最初の部分が少し切れている事からスイッチャーによるフィルムカメラの切り替えであり、タケダOPのフィルムときちんと繋ぎ合わせされているものではないことがわかる。またモノクロ放送のためフィルムはカラーだが、フィルムカメラはモノクロ用を使用しているはずです)

3.「ウルトラマン誕生」テロップ(モノクロテロップ用カメラへの手動切り替え、アナウンサーによる生原稿読み上げ)

4.本編VTRに切り替え(本編中の第3話ダイジェストはVTRとのつなぎ目がきれいに編集されているためカラーフィルムをモノクロでテレシネしてVTRで繋ぎ編集したと思われる)

5.「ハイシーA」CM(モノクロフィルムカメラへの手動切り替えによる手動送出)

6.「ウルトラ作戦第1号」予告(一瞬フィルムリーダーの黒味部分が映るため手動切り替えによる送出。カラーフィルム(予告編には本編撮影時のNGフィルムやカットした部分のフィルムが使われることが多い)をモノクロ用フィルムカメラで撮影。アナウンサーによる生原稿読み上げ。予告編スーパー送出)

7.武田薬品提供テロップ(モノクロテロップ用カメラへの手動切り替え、アナウンサーによる生原稿読み上げ)

アナウンサーが生読み上げであるというのは予告編とタケダ提供テロップの間の喋りのつなぎが画面と微妙に合って無いからです。

以上、VHSソフトに収録されている内容はここまで。実際の番組もここまでで、実際の放送上ではこの後ステーションブレイク(ステブレと呼ばれる)となりスポットCMが入るのですが、このキネレコの原本フィルムにはそのステブレに入った後の武田薬品のスポットCMが途中まで入っているそうです『実際に上映会(第1回特撮大会など)でフィルムをご覧になった方の証言です』。当時すでにTBSではテレビAPS(自動送出装置)が稼働しており、1964年以降はニュースなど一部の番組を除き、ステブレのスポットCMはAPSにより自動で送出される仕組みになっていました。従って武田薬品の提供テロップ後にAPSで送出された武田薬品のスポットCMがキネレコに記録されているという事は間違い無くオンエア画面をそのままキネレコで記録したということになります。

つまり「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」のキネレコフィルムは放送後に別作業で作られたものではなく、オンエア時にリアルタイムで記録されたものだと言う事がわかります(フィルムネット局用に作るわけですから番組のオープニングから終わりの提供テロップまで全部が収録されてないと意味が無い訳です)。

リアルタイムで記録されたものならば当時の慣例どおり当然タイトルにカラー放送であることを知らせる【カラー】のスーパーが挿入されているはずですが、このキネレコにはその【カラー】スーパーがありません。これもこの番組がモノクロ放送であったと考える理由のひとつです。


7.放送枠による事情

放送枠についてですが、「ウルトラQ」の開始時にTBSとスポンサーの武田薬品の間で「1月2日放送開始、日曜夜7時、30分、28本、モノクロ枠」という契約が結ばれているはずです。

そのうち1本を見送って「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」を放送する。

武田薬品としてはモノクロ28本分の提供費用は払っており、しかも「ウルトラQ」は28本全て完成してから放送順を決めて放送を開始したので本来28本目(最終回)の放送をするはずだった7月10日はモノクロ枠として買い上げていたはずです。

おそらくTBSは鳴り物入りのカラー番組の宣伝のためにカラー枠に変更することも考えたと思います。しかし武田薬品に更なる出費を認めてもらわなくてはならず、また急にモノクロ枠をカラー枠に変更するにあたって送り出し側キー局であるTBS側と受け側の全国のネット局との調整・準備も必要であり、おいそれと枠の変更は出来なかっただろうと思われます。
(余談ですが、TBSが「ウルトラQ」を1本見送ってまで「ウルトラマン」の放送を前倒ししようとしたのは、この直前に「ウルトラマン」の放送を睨んでスタートしたフジテレビの日本初の連続カラーテレビ特撮番組「マグマ大使」に対抗してのことだと言われていますが、個人的にはTBSは「カラー番組」と言う事に拘ったと言うより、「怪獣と戦うヒーローの物語」というジャンルでより先んじられ、「ウルトラマン」が二番煎じと世間に映ることを懸念したのではないかと思っています。もちろんカラーも大きな理由の一つでしょうけど、TBSはカラー積極派の日本テレビに比べてカラー化には慎重だったからです)。

また当時TBSは「ウルトラマン」放送に先駆け、東京都内数カ所で番宣の為にその時点で完成しているフィルムの試写会を行っていました。その最後の会場が杉並公会堂であり、試写会に合わせて舞台イベントを行い、これを収録して「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」として放送しました。これはあくまで推測ですが、その制作費自体はもうすでに28本の作品のスポンサー料を払った武田薬品にお願いする訳にはいかないので、おそらく全額TBSが負担したのではないかと思います。(この「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」のクレジットがTBSと円谷プロの共同制作となっておらず、「協力 円谷プロダクション、制作TBS」となっており、映像権利をTBSが持っているという事は恐らくそうではないかと考えます)。

それから当然出てくる疑問として「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」の映像の中の

1.「ウルトラマン用ウルトラQオープニング~ウルトラマンオープニング」

2.「ウルトラマン」第1話予告編

この2つに関しては原本はカラーフィルムであることから、「この部分だけカラー放送だったのでは?」という事があります。

このような1つの番組枠の中でパートカラーにしようとすると、多分当時でも技術的には出来たのでしょうが、放送枠自体がカラー枠を確保しないとモノクロ枠ではこういった事は出来ません。素直にカラーフィルムをモノクロのフィルムカメラで撮影し、モノクロで送出したと考えるのが妥当だと思います。


8.「当日の新聞のラ・テ欄について」

66年当時、まだカラーテレビは殆どの家庭には普及しておらず、また、カラー放送も珍しかった為、新聞のラテ欄にはカラー放送には【カラー】と表記があるのが慣例でした。「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」についても新聞のラテ欄を見れば簡単に判明しそうなのですが…。



朝日新聞(東京版)の1966年7月10日と7月17日。7月10日の「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」に【カラー】マークは無く、7月17日の「ウルトラマン」第1話「ウルトラ作戦第1号」には【カラー】マークが付いています。これなら「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」はモノクロ放送だったと言えるのですが…。



毎日新聞(東京版)の1966年7月10日と7月17日では7月10日の「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」も7月17日のカラー放送のはずの「ウルトラマン」第1話「ウルトラ作戦第1号」にも【カラー】マークがありません!。これでは毎日新聞を使って調べ始めた人からは「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)カラー放送説」が出てきても不思議は無いです。新聞のラテ欄も必ずしも正確では無いと言うことですね。なお、地元の図書館には読売新聞の縮刷版は置いていなかったので調べることが出来ませんでした。


9.当記事としての結論

ツイッターでリプを頂いた方から教えて頂いたのですが、「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)」当日、演出の実相寺昭雄ディレクターと共に演出を担当した樋口祐三プロデューサーの証言が「ウルトラマンDNA」誌Vol.3号(2005年・小学館)に掲載されていると教えて頂きました。(当時私も読んでいましたが何の雑誌だったか忘れていた)。

それがこの部分です。(当日は実相寺氏は中継車から指示を出し、会場内を樋口氏が担当しました)

今まで述べてきたこととこの証言との整合性が取れていると思うのですが…。


以上の事から当ブログ記事では「ウルトラマン誕生(ウルトラマン前夜祭)はモノクロ放送だった」と結論づけたいと思います。「状況証拠ばかりで物的証拠が無いじゃないか」と言われそうですが、唯一の物的証拠は放送素材である2インチマスターVTRしかありませんし、おそらくキネレコフィルムが作られて、なおかつそれが保存されているという事は「放送後のVTR消去前提」だと思いますので、おそらくマスターテープってもう現存していないのではないかと考えるのですがどうでしょうか。
また、中継用カメラの特定自体は限りなく物的証拠に近いものではないかと個人的には思っております。

でもたとえモノクロキネレコフィルムでも今日までこの映像が残っていることにはもう感謝しかありません。だってこれほどまでに「ウルトラマン」製作当時の1966年の時代・空気・熱気・子供達の姿etc.…が記録されている映像は他に無いのですから。できれば最初のVHSのバージョン(CMまで全部入っている)でぜひ観て頂きたいと思います。というか、ノーカットバージョンもう一回出して>TBS&どこかのメーカーさん。


10.参考資料その他

なお、この記事を作るにあたりまして、下記資料から図版を引用させていただきました。

1.「エンターテインメントアーカイブ ウルトラQ ウルトラマン」(ネコ・パブリッシング 平成30年12月発行)

2.「TBS50年史」及び「TBS50年史 資料編」(非売品 株式会社 東京放送 2002年1月発行)

3.「ウルトラマンDNA」Vol.3 (小学館 2005年6月発行)

4.「テレビ 夢 50年(日本テレビ50年史)」(非売品 日本テレビ放送網株式会社 2004年3月発行)

また下記資料を参考にさせていただきました。

1.「テレビ放送開始30周年記念特集 3-8 スタジオ・中継技術」(テレビジョン学会誌 VoL37 No.4(1983)


【オマケ】


「TBS50年史」にはもちろん一大怪獣ブームを巻き起こした「ウルトラQ」「ウルトラマン」についてもちゃんと記述があります。もちろん円谷プロが払えなくて困ったオックスベリー1200シリーズオプチカルプリンターの代金4,000万円を肩代わりしたことも誇らしげにしっかりと載ってました。

最後に、長文をお読み頂いた皆様へ。ありがとうございました。

「なりカル!」(KRYラジオ土曜夜10時~)のオフ会に行ってきた。


KRY山口放送ラジオで土曜夜10時から放送されている”秘密の部活動”こと「なりカル!」という人気番組があります。

成田弘毅アナウンサーがアニメ・ゲーム・マンガ・アイドルetcについて毎週テーマを決めて語っていく番組で、設定は「部活動」ということになっています。

なので成田アナは「部長」、成田アナをサポートする放送作家の役割を兼任するディレクターのはなちゃんは「顧問」、そしてリスナーは「部員」という位置づけになっています。

その「なりカル!」の番組オフ会が開かれるということで行って来ました。

2018年11月24日(土)17:30から。場所は徳山駅3Fの交流室2という部屋です。


初めての会場で懸命に機材のセッティングをする成田部長と顧問のはなちゃん。結構時間に厳しい会場だったので参加者全員で設営。

ラジオ番組のオフ会というのは結構全国のいろいろな番組のリスナーさん同士が集まってあちこちで行われているのですが、ほとんどはリスナーさん同士の語り合いの場として催されます。

が、今回特筆すべきはKRY山口放送の番組サイドの出演者・スタッフさんが「業務では無く完全プライベートで催す会」という全国でもほとんど例が無いんじゃないかという豪華なオフ会になりました。

事の発端は10月に行われるはずだった「KRY秋まつり」という、局を上げてのお祭りが台風で中止になったこと。その際「なりカル!」ではKRYのラジオ番組としては初めて「番組ブースを出していろいろやろう」と言う事になっていたのですが、まさかの中止。これが残念で我慢ならなかった成田部長とはなちゃん顧問が「我々も業務で無く完全プライベートで参加するオフ会をやるぞ!」と番組で告知。本日無事開催の運びとなりました。こんなリスナーフレンドリーな番組他にあります?。多分全国でも殆ど例が無いと思います。だって局側の人たちとリスナーの垣根が無いんですよ。

KRYの局自体の雰囲気とアナウンサー・スタッフさんのフレンドリーさ、リスナー(部員)の「垣根は無いけどちゃんと距離感は保った節度ある行動をする」という条件が全て揃っているからこそ開催できた催しだと思います。


当日の予定は以下のとおりでした。

日時 11月24日(土)17:30(開始予定)

会場 徳山駅前賑わい交流施設(徳山駅3F交流室2)

内容

①秋まつりで流せなかった動画上映

②Mr.Gからの挑戦状(クイズ)企画

③平成最期のガンマン決定戦

④新企画フライング発表

あとは自由に部員同士の交流

参加費 無料

飲食物 各自持ち込み

KRY山口放送からプライベートで参加のチームKRYは

成田部長

はなちゃん(顧問)

はなちゃん(美術)

K光D(テレビディレクター)

Mr.G

ギャラクシーデビル(誰だったかは来場者のみが知る)

ついけんさん(裏番で非公式)

その他にも男性アナウンサーさんが2名(これも誰だったか来場者のみが知る)

もうここまで聞いたら部員はワクテカが止まりません。

発表と同時に参加表明が相次ぎ(もちろん表明無しのぶらっと参加もOK)、さらに周南市ということもあってあの「周南萌えサミット」の関係者さんも参加を表明!。

はなちゃん顧問はフタを開けるまで果たしてどのくらい集まってくれるのか不安そうでしたが結果、この素晴らしい会に総勢60名近くが集まりました!。ローカルの夜番組でこれは凄い!。


まずはここだけの限定公開(というかここでしか内容的に流せない)秘蔵動画上映会…なんだけど、この会場、3方向がガラス張りなので外から丸見え。(隣は図書館の勉強室なので勉強中の人たちは何やってんだろう?と不思議に思ってたと思う)。これは当然撮影録音禁止。


大勢の部員が集まり大盛況。


本日の主役、成田部長は部員への声かけに余念がありません。


企画の一つ「Mr.Gの挑戦状」はいわゆるクイズ大会。謎の「Mr.G」作成の「ガチQ」並のサブカル問題に、部員2名でペアを組んで答えていくもの。3問正解で勝ち抜けとなります。

出題はあらかじめ録音してあるKRYのギャラクシーエンジェルこと八木美佐子アナウンサーの音声で。

私はアニメ・マンガもチェックはしてますが、基本特撮や'70年代テレビ番組やCMの人なのですが、全くそのテリトリーからは出題されなかった&世代的に私にジャストな問題が出なかったので1問も答えられず。悔しい結果となりました。ペアを組んでいただいた部員さん(ここではお名前は出しませんが)誠に申し訳ありませんでした。「花より男子」は知ってても学園の名前まで正確に覚えて無かったりとか。(その後、2次会の席で出された「次のうち【りぼん】に連載された作品はいくつでしょう」という問題だけは即答で答えたけどw)


賞品をチェックする部長。何か自分が欲しいものがあったりしてw
ちなみに手にしてるのは「マ・クベ」の「白磁の壺」。


次の問題の抽選をしてもらうため走り回る部長。


難関問題を勝ち抜いた人たち。


このブログ初顔出し!のディレクターはなちゃん(顧問)いつも番組で成田アナの弱い話題のアシストで喋っているのでディレクターにも関わらずリスナー(部員)に大人気!。成田アナの仲の良い兄貴的な語り口が好評です。そして右側にいる方が今回の問題作成者、「Mr.G」です。


あらかじめ用意されていた賞品に部員が持ち込んだ景品が加わって、かなりの豪華景品に!。


今回、集まってくれた人を退屈させないよう終始走り回っていたはなちゃん顧問。ホントにリスナー思いな売れっ子ラジオディレクターです。


見事賞品を手にした人たち、ちなみに一番右側が部員にはお馴染みのテレビ制作部の「K光ディレクター」です。ロボット物メインのサブカル大好きディレクターです。


予定をかなり押してしまい、2時間の予定はあっという間。「みなさん、楽しんでいただけましたか?また次の機会があればぜひ考えたいと思います」との顧問の挨拶。

そしてここに来られた方だけに、番組からのフライング特報が!楽しみはまだまだ続きそうです。

このあと、全員で記念の集合写真を撮ってオフ会はお開きとなりました。


成田部長はここで私用で実家に帰省しなければならないと言う事でお別れ。2次会行きたそうだったなぁ。

まだ名残惜しい人たちはこのまま「お酒あり」の2次会へ突入!。

「カラオケ シダックス」へ移動して2次会です。残ってくれたのは顧問、美術のはなちゃん、Mr.G、ついけんさんの4名と部員28名の計32名。

10時からの「なりカル!」オンエアを聴きながら、カラオケはせずにひたすらトークでコミュニケーション。楽しかったです。


さらにこのあと、場所を居酒屋に移して16名ほどで3次会。部員同士のトークが最高に盛り上がりました。お開きは午前12時半。最後まで我々のお相手をしてくださった顧問と美術のはなちゃん、ありがとうございました。
ちなみに美術のはなちゃんからお願い事項が。ステッカー等の絵柄のアイデアを随時募集中だそうです。いいアイデアをお持ちの方は公式アカウントか #なりカル のハッシュタグを付けてつぶやいて下さいとの事でした。


これは先日(11月3日)に撮らせていただいた部長と顧問の2ショット。これからも予算と事情の許す範囲でどんどんやれることは何でもやっていく!と力強くおっしゃるこの二人から当分目が(耳が)離せませんよ!。ということで今後も乞う、ご期待!!
(ちなみにこの写真撮るときに顧問に「これじゃまるでオレが成田のファンで2ショットせがんでるみたいに見えるじゃん」といわれたのは内緒だw)

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Author:缶コーラ
山口県在住。ローカルなネタを含めて
何でもアリで書いていきたいと思います。

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